こんにちは、yasuです。最近、「分析」ってなんだっけと思うことがあり、Xで次のように投稿しました。
分析の基本は「分けて考えること」だけどそれだけじゃダメなんですよね。
という話をちょっとしていきたいと思っています。
「分析されていない報告書」の違和感
調査や業務報告書、プレゼン資料などを見ていると、こんな感覚を覚えることはないだろうか。
「情報はたくさんあるのに、全然頭に入ってこない」
「項目は分かれているけど、“だから何?”がない」
この違和感の正体は、ズバリ「分析されていない」ことにある。
数値をグラフにしたり、データを属性で分けたりする作業はされているのに、「分析されていない」と感じる。それはなぜか?
ここでは、「分析とは何か?」をあらためて言語化し、「分けただけの報告」と「分析された報告」の違いを明確にしていきます。そして、本当に意味のある分析を行うにはどんな思考が必要なのか?を、具体例とともに解説していきます。
「分析=分けること」ではない
「分析」という言葉は、日常でも頻繁に使われる。
だがその意味は曖昧で、ともすれば「ただ分類しただけ」の状態を「分析した」と錯覚しているケースも少なくない。
たとえば、以下のような切り方はよく見かける。
- 年代別(20代/30代/40代)
- 性別(男性/女性)
- 地域別(関東/関西/地方)
実際に私も分析は分けて考えることと伝えているので、間違いではないのですが…

こうした「グルーピング」は、確かに基本的な整理作業として必要だ。だが、それだけで終わってしまっていては、「分析された」とは言えない。
大切なのは、その違いが何を意味しているのかを読み解くことである。そう考えていないのです。
「分析されていない報告書」の例
以下は、現場でよく見かける“分析されていない”報告の例だ。
- 不満の声をただ分類して並べているだけ
- 自由回答を「価格」「機能」「手間」とカテゴリ化したが、なぜその不満が出ているのかの説明がない
- 「A層はB項目のスコアが高い」と述べて終わっている
こうした報告書には、事実は書かれていても「意味づけ」がされていない。
では、意味のある分析とはどういうものか?
分析とは「意味を与えるプロセス」である
あらためて、分析とは何かと問われると、以下のような3ステップから成るプロセスであると私は考えている。
ステップ1:違いを可視化する(整理・分類)
最初に行うのは、情報の構造化である。
属性や行動など、共通点を持つ要素で分類する。
例:
- 「購入経験がある人」と「ない人」に分ける
- 「価格に敏感な人」と「機能を重視する人」に分ける
この段階は「整頓」に近い。だが、まだ“分析”とは言えない。
ステップ2:違いの背景を見出す(構造化)
分類された違いの背後にある要因や関係性を探る。
ここが最も本質的な「分析」フェーズである。
例:
- 価格重視の層は、生活防衛志向が強く「失敗したくない」思考を持っている
- 機能重視層は、プロダクトへの期待値が高く「自己効力感」と結びついている可能性がある
単なる属性の違いではなく、「なぜそのような傾向になるのか?」を仮説ベースで構造的に解釈していくことが求められる。
ステップ3:仮説に昇華する(示唆)
導き出された構造を、次の行動に活かす形で転換する。
ここまでできて初めて、分析は「役に立つ知」になる。
例:
- 不安が強い層には“安心材料”を提示する施策が有効
- 高機能志向にはスペック訴求よりも“使いこなせる自己像”の想起が鍵になる
このように、「意味を与える → 判断の軸を作る」というルートをたどって初めて、分析は成立する。
なぜ「切り分けただけ」では足りないのか?
整理された状態を見ると、人はつい「分析された」と思ってしまう。だが、分類だけでは情報が断片化されたままであり、またモノによっては情報量が膨大になってしまい、受け手は「どう読めばいいか」がわからない。
たとえば、「20代後半と30代前半で反応が違う」と言われても、その違いが“どうして生まれたのか”“どんな心理がそこにあるのか”が語られていなければ、受け手は解釈を丸投げされてしまう。
情報を整理した上で、その差に「意味づけ」と「因果の構造」を与えること。これが、分析の核心である。
解釈違いというのは、いくつかの情報を読み解く上で分析する人のスキルや経験によって異なってしまうので仕方ないが、解釈を丸投げされると受け手=依頼主は依頼した意味がないと感じてしまう。
「分析思考」を支える3つの観点
本質的な分析を行うには、以下の3つの思考観点が重要となる。
① 仮説志向:意味のある切り方を設計する
ただ「分ける」のではなく、「なぜ分けるのか」を事前に設計しておく。
仮説があることで、差異に意味が宿る。
例:
「価格重視層は失敗経験が多く、“損をしたくない”心理が強いのでは?」
という仮説があれば、「価格」に対する感度の違いを分析できる。
「若年層は高齢層と比べて本プロダクトの機能Aに魅力を感じるのでは?」
という仮説があれば、「年齢」による相関や傾向を分析できる。
② 因果構造の想定:階層で考える
データや行動を、「表層の結果 → 背景の心理 → 社会的要因」のように、因果構造で捉える。
例:
「継続しない理由」→「面倒」→「時間がない」→「ライフスタイルにそぐわない」
階層で考えることで、単なる事実の羅列ではなく、「構造」としての意味が立ち上がる。
③ 問い直し:切り方そのものを再検証する
分析の出発点となる分類軸そのものが適切かを、常に問い直すこと。
- 「性別で分けたが、意味のある違いは本当にあるか?」
- 「“年代”という軸は、今の価値観に即しているのか?」
- 「ロイヤルユーザーというが、ロイヤルって何を示すのか?」
問いを立て直すことで、より本質に近づける。これが報告書をより深くしていく材料となる。
分析がもたらす“解像度の上昇”
良い分析には、共通して以下のような特徴がある。
- 情報の整理だけでなく、“関係性”の可視化がある
- 差異を「構造化」し、理解の“手がかり”がある
- それが判断・意思決定に活かせる「示唆」になっている
逆に、分析されていない情報は、
- 断片が並んでいるだけ
- 受け手にとっての「読解ガイド」がない
- 何を考えればいいのかが不明瞭
となり、資料としての価値が著しく下がってしまう。そう、解釈が丸投げされてしまっているのだ。
要は、その報告書を読むことでそのテーマや消費者の理解が深まることが大切なのだ。
まとめ:分析とは“情報に問いと意味を与えること”
この記事で伝えたかったことは、以下に集約される。
- 「分析」とは、ただ分類することではない
- 分析は、①違いを可視化し、②構造化し、③意味を与えるプロセス
- 本質的な分析のためには、仮説志向・因果構造・問い直しが必要
- 分析されていない情報は、“伝わらない”という致命的な問題を孕んでいる
情報が溢れ、表層的な整理が氾濫する今だからこそ、
「問いを立て、構造を与え、意味でつなぐ」という分析思考がますます重要になっている。
終わりに:「切り方」には責任がある
最後にひとつ。
分析とは、「データに対して責任を持つ行為」でもある。
どんな切り方を選ぶかで、相手の見方も行動も変わってしまう。
だからこそ、分類にとどまらず、「意味を与えること」「関係性を見出すこと」への想像力が必要なのだ。
もし今、あなたの目の前にある情報が「分析されていない」と感じられるなら、
──それは「意味づけがなされていない状態」だ。
その意味を与える仕事こそ、分析である。
こちらの記事(https://www.happy-carrer.com/blog/416)もぜひ参考にしてみてください。
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ほな、さよなら三角また来て四角