こんにちは!yasuです。ちょっと続けて投稿してみますね。
今回はリサーチャーとして働いている中で、結構見てきた病についてお話をしたいと思います。
それは「正解主義」という病です。自分もキャリアの初期はその病にかかっていました。その病の治し方についてもお話をしたいと思います。
「正しさ」に呑まれて、問いを見失っていないか?
リサーチの現場でよく見かけるシーン。
「この設問順って意味ある?」「クロスの切り方、おかしくない?」「設問8と10って被ってない?」
ロジカルで鋭い指摘が飛び交うたびに、ちょっとずつ身体が硬くなる。息が浅くなる。正しさを追求する空気が、いつの間にかリサーチャーの思考を蝕んでいく。
マーケティングリサーチの現場は、仮説と検証の知的ゲームのはずだった。でも気づけば、“間違えたら終わり”のサバイバル。ミスをしたらいけないって強迫観念が強く出る。
報告書にスコアの転記ミスがあれば「なんでチェックしなかったの?」
報告書の表現があいまいであれば「何がいいたいの?」
回答画面の動作ミスがあれば「ロジックチェックはした?」
そうやって、正しさで人が人を詰める現場は、リサーチの面白さも、問いの鋭さも、全部殺してしまう。
この「正しさ」を遂行することは大切であるが、その「正しさ」を守ることだけにだんだんと思考が侵されていく。そしてだんだんと指示されたことを「正しく」遂行していくことが仕事になっていく。
今、その「正しさ」をきちんと腹落ちできるようなFBをできる人が少なくなっていると感じる。だから作業的に「正しさ」をチェックすることが仕事になる。基本のキは大切なのに、それが土台になって思考として進化していないからこそ、発展がないのだ。
報告書が“正解集”になってしまう前に
報告書を書くとき、無意識のうちに「模範解答」を探してしまう瞬間、ありませんか?
・よくあるストーリー展開に当てはめる
・クロスで“全体値より高いスコア”だけ拾う
・「傾向が見られる」で逃げる
・詳細編のコメントをまとめただけのサマリを作る
──そうやって、自分の仮説や問いを捨てて、“怒られないレポート”が出来上がっていく。
報告書が無難になればなるほど、読み手は何も動かなくなる。
そしてその無難さはクライアントの課題に立脚したものではないので、単に間違いのないグラフ集ができあがる。
「面白くないけど、間違ってないよね」 「矛盾はないけど、別に何も刺さらないね」
クライアントからこんな反応が返ってきたとき、なぜかホッとしてしまうという人もいるのではないか?
でもそれって、本当に“仕事した”って言えるのか?
本来、リサーチは「答えを出す仕事」じゃない。「正解のない問いに対して答えを考えていく仕事」だ。 なのに、正解らしきものを並べて、説得っぽく整えて、疑いを排除してしまう。それって、リサーチを“報告作業”にしてしまっていないか?
"考えていく"プロセスが落ちてしまっている。
実は若手のリサーチャーと話をしていると、こうした悩みを打ち明けてくる人がそこそこいる。
先輩や上司は案件に稼働を取られて、ある程度案件をさばけるようになった若手はトラブルを起こさない限り放置される。そしてフィードバックもほとんどなされない。
自分は本当に成長しているのか?と悩む人は多く、そういう人ほど調査会社を出ていくのだ。
正解主義が、キャリアの思考停止を生む
この「正解にしなきゃ」って感覚、報告書だけじゃなく、キャリアの選択にも入り込んできます。
・このままリサーチャーでいいのか?
・事業会社のリサーチ部門に移るべきか?
・マーケ職や企画職に転職できるのか?
そんなふうに迷いながらも、「でもリサーチしかやってこなかったし」と動けなくなる。
だって、自分のキャリアにも“正解”があるように思えてしまうから。
しかも最近は「市場価値」という言葉がその不安を煽る。
「今求められてるのはデータ人材らしい」 「UXリサーチは伸びるらしい」
──“世の中的な正解”に引っ張られて、本当は自分が何にモヤモヤしてるのか、わからなくなってくる。
でも、キャリアは自分がどう生きたいのか?を問うものだ。そしてそれは自分の可能性に対して仮説を立てて検証していくようなもの。
試して、間違えて、修正していくものだ。 「この会社じゃないかも」「この業務、向いてないかも」「今の上司と合わない」──全部“検証結果”として、次の問いに進めばいいだけなのに思考が凍り付いてしまっている。
正しさに縛られるほど、キャリアは鈍る。 問いがなくなったキャリアは、過去の延長でしかなくなる。
“正解警察”は、たいてい自分の中にいる
怖いのは、外部からの指摘じゃない。自分の中の“正解警察”だ。
・この仮説、証明できないしな……
・この読み取り、飛躍って思われそうだな……
・この発言、根拠ないって怒られるかも……
そんなふうに、自分で自分を監視しはじめると、もう何も提案できなくなる。
クライアントに対しても、チームに対しても、そして何より、自分自身に対して。
でもそれって、本当に望んでた働き方ですか?
本当はもっと、自由に仮説を立てていい。 「変な切り口だけど、ありかも」とか 「数字には出ないけど、感じることがある」とか
──そういう直感や違和感から生まれる“問い”が、実は一番面白い。
リサーチって、本来そういう営みだったはずだ。自分がこの病を脱したのは「クライアントにこの報告書は意味がない」と正面から指摘されたときだった。視野を広く持ち、何を検証していくのかの視点を持ってストーリーを描くことが大切と教えてもらった。
自分も若手リサーチャーにそう説くときが来たのかもしれない。
「納得のいく問い」を取り戻すために
ここまで読んで、「自分のことだ」と感じたなら。
それは今、自分のキャリアに“問いを立て直す”タイミングかもしれません。
・今の仕事、ちゃんと仮説を立てて取り組めてる?
・報告書、誰かの顔色じゃなく、問いから書けてる?
・キャリア、正解探しになってない?
ひとりで考えていると、問いって曖昧になる。 だからこそ、他人と話す意味がある。
問いを言葉にすること。 キャリアを仮説として捉えなおすこと。
それができるだけで、働き方の風通しはだいぶ変わってきます。
もし自分でよければキャリア相談にのれますので、coacheeからご相談ください。
https://coachee-hr.com/coachee/detail_plan/396
「正しさ」じゃなく、「納得できる問い」からキャリアを再設計していきましょう。
ほな、さよなら三角また来て四角